京都に桜を見に行く。
KDDIの工事予定日だったのだが、花見ごろに室内で工事を見るなんて無粋すぎて泣けてくるねぇオーイオイ、とキャンセルした。最近落語づいているせいか人間の業をじゃんじゃん肯定している。

賀茂川の桜は、さくらさくら、ふわふわ天国のよう。川が三途の川に見えてくるほどに浮世とかけはなれた景色だ。桜と死を結びつける先人が多いのもわかる気がする。桜の放つ熱ににうかされるのか、もう死んでもいいような気がふっとする。

かつて雨のちょぼふる夜、平安神宮のしだれ桜の下に数時間たたずんでいたことがある。あの時わたしは桜と同一であった。しだれ桜のピンクがにじんで自身との境界がなくなった感じ。オヤ、この鑑賞法はいいぞと思ったが、最近はなかなか桜と同化できず、見て天国みたいやーと感動して写真とって食っちゃ寝して、慌ただしく完了している。

願わくば桜の下にて春死なん その如月の望月の頃(西行